個人開発のゲームが 10 年ぶりに完成した 【ドアを開ける短いゲーム】

2022-06-25

ゲームを作った

趣味で一人で作っていた ドアを開ける短いゲーム というゲームが完成して、先日 iOS / Android 向けにリリースした。 3D のアドベンチャーゲームだ :

エンディングがあるタイプの、遊びきりのゲーム。
タイトルに「短い」と入っているので長くはないが、言うほど短くもなかったりする。 人によってプレイ時間は変わるが、目安として映画 1 本見るくらいの尺はあるだろう。 まあ平均的なインディーゲームと比べても短めとは言えると思うので、そのあたりは大目に見てもらいたい。

なぜこのゲームを作ったか

このゲームを作ったのは、言ってしまえばただの趣味だ。 自分が作りたいと思うゲームを作りたい、また、自分のゲーム開発の技術力をより高めたいと思って作った。 マネタイズはメインの目的ではなかったため、ゲームは最後まで無料で遊べる (広告も入らない) 仕様になっている。 僕も生きるためにおかねを稼ぐ必要はあるのだが、この辺は僕の甘い部分だ。

このゲームはゲームデザイン、プログラム、グラフィック、UI、マップ、シナリオ、主要なキャラモデル、音楽を全て僕一人で作った。 (※ 建物や木などの 3D モデルや効果音は購入したアセットを使っている)

一人で作ったかどうかは遊ぶ側にとっては関係のないこと (むしろ各分野のプロが集まって作られたゲームと比べたらマイナス) だと思う。だが、僕にとっては一人で作ることには意味があった。

僕は本業もゲームプログラマだが、これまでに 3D の扱いやグラフィックスまわりを 100 %自分で作るようなことはしてこなかった。 また、過去に個人で作ったことがあるのもシューティングゲームやミニゲームといった類で、ストーリー性のあるものは少なかった。 加えて、僕はマップをキャラクターが自由に歩き回るようなゲームが好きなのに、そのジャンルを自分で作りきった経験もない。

そうしたことをコンプレックスのように感じていて、 実のところ僕は 「自分がゲームらしいと思うゲーム」をまだ自分の手で作ったことが無いのでは? と考えていた。 このゲームを作った背景には、そうした不安を払拭したかったという思いがある。

初期は 3D とシェーダの練習のための小さなプロジェクトのつもりで、20 分くらいで終わる短いゲームにしようとしていた。 が、作っているうちに少しずつ凝ってきて開発期間も長くなり、せっかく人生の時間を削って作るなら

  • 自分の人生においてもっと意味のある作品で、
  • 遊んでくれた人にも何かちゃんとポジティブな感情を与えられる

ものにしたいと考えるようになった。
結果的に 1 年半の開発期間を経て、自分でもそれなりには、手応えを感じられるゲームが完成した。
(当初考えていたものから結構、画面イメージが変わったりもした) :

開発当初からは結構変わった

開発当初からは結構変わった

ゲームを完成させるのは難しい

先日、以下のような記事が上がっていた :

僕自身は開発者の苦難はプレイヤーのあずかり知るところではないとは思っているが、 ゲーム開発が困難でコストのかかるものだというのはたしかに、真実だ。

「ドアを開ける短いゲーム」の開発には、概算でおそらく 2500 時間 くらいの作業時間・思考時間がかかっている。 1 日 4 時間半を、約 1 年半となる 550 日続けると大体それくらいの時間になる。 自分はここしばらく、仕事をしていない時間のうちの半分以上は、 このゲームの実装をしたりゲームの構成・デザインを考えることに時間を費やしていた。 2500 時間というのも言い過ぎではないだろう。

ゼロから作品を作るというのは、 何かと何かのトレードオフを選択する決断の連続 だ。 どんな仕様にするか、どんな景色のマップを作るか、キャラクターに何と喋らせるか、リソースをどこにどれくらい配置するか…  僕が何かを選択するたび、このゲームを遊んでくれる未来のプレイヤーの世界線が変わっていく。 人生は短い。時には妥協も必要だが、どこで妥協するか線引きするのもまた、自分自身なのだ。 ゲーム開発はそうした決断のための精神的コスト (MP 消費) を伴う。

一人でゲームの BGM を作ったり、データを用意したり、マップのモデリングをしていると、 この作業は一生かかっても終わらないんじゃないか という感覚さえ覚えた。 時間をかけていると、そもそも作っているゲームがちゃんと人に楽しんでもらえる代物なのか? ということにも自信が持てなくなってくる。 そうこうしていると何故かビルドが通らなくなったり、実機で動かしたら一部の端末で描画がバグっていたりなど、 盤外で起こる問題も尽きない。

大人になって仕事の経験を積んだ今でも、個人ゲーム開発の中で躓く場面は何度もあった。

「ドアを開ける短いゲーム」はなぜ完成したのか

しかし、僕のゲームは完成した。
俗説では、 個人開発のゲームはその 90 %が未完成のまま終わる とも言われている。
僕は 10 %の賭けに勝ったのだろうか。

僕の場合、勝因は 2 つあったと考えている。

  • (1) 工数見積りを「しなかった」
  • (2) 自分が思った以上に 3D のマップ作りが好きだった

この 2 つだ。

(1) 工数見積りを「しなかった」

ゲームを作っているとき、当然頭の中に全体の構想はある。 だがタスクを全て洗い出して、全部であと何時間くらいで作業が終わるか算段を立てる、という工数見積りは 意識的にしなかった。 多大な時間がかかるという現実を見ると心が折れるから だ。

自分は本職がエンジニアだが、仕事をする上では当然ながらタスクの洗い出しや工数見積り、進捗確認などのプロジェクト管理を行う。 ビジネスの計画を立て、チーム開発を完遂するためにはそうするほうが成功率が上がるからだ。 大きな開発も、タスクを細かく切って可視化すれば作業内容や進捗もわかりやすくなり、仕事のモチベーションも高まる。

だが趣味の個人開発においてはむしろ、 あまり先を見ないほうが開発は長続きした。 逆説的だが、自分の場合はそれが良かったようだ。 日々、今日はマップのこの部分だけ作ろうとか、今日は曲を作りたい気分だから先のステージで使う BGM を作ろうとか、 目の前の個々のタスクだけを見るようにした。ゲーム全体の完成という遠いゴールは直視しない。

一歩でも歩けば、歩いたぶんは少なくとも前には進む。 毎日ちょっとずつでも進捗すればまあいつかは完成するんだろう、という半ば楽観視したようなスタンス で開発していた。 そうすることで開発を仕事のように感じず、あくまで趣味でやっていると思えたのが良かったのかもしれない。

ゲームでも、いきなり魔王を倒せと放り出されたら途方に暮れるので、 まずは仲間を増やそうとか、強い剣を手に入れようとか、段階的に目先の小目標を置くものだ。
人生もゲームも、「あとちょっとやればできる」くらいなら頑張れる。

(2) 自分が思った以上に 3D のマップ作りが好きだった

「ドアを開ける短いゲーム」の開発で最も時間がかかったのは 3D のマップを作り、イベントやアイテムを配置する… という レベルデザイン / 空間デザイン の作業だったと思う。 が、自分は この作業が純粋に好き だったようで、 (慣れない分野で時間はかかったものの) やっていて苦にならなかった。

思えば、僕はもともとクラフト系のゲームが好きで、自分で空間をデザインできる建築要素のあるゲームには軒並みハマってきた。 ドラクエビルダーズ、Valheim、Satisfactory あたりはどれも 150 時間以上プレイして 3D 空間での建築作業に没頭したものだ。 記憶を辿ると、幼少期の頃は落書き帳に延々とオリジナルのダンジョンのマップや迷路を描いているような子供だったし、 RPG ツクールで町や洞窟のマップを作ることも好きだった。 根本的にマップ作りが好きだったのだ。

純粋に好きなこと、言われなくても勝手にやってしまうようなことは強みだ。 作業はもはや仕事ではなく、情熱を注げる遊びや研究対象の様になる。 「ドアを開ける短いゲーム」は色々な景色のマップを歩くことがメインのゲームだったので、 これが自分の本当にやりたいこととマッチしていて、開発が持続した。

リリースして

かくして、僕のゲームは完成したのだ。

僕はもう何年も、個人開発のゲームを完成させてはこれなかった。 たまに「何かやらなきゃ」と思い立ってはみたものの、作りかけたものが完成にいたることはなかった。 個人開発の 90 %は完成しない… 僕も御多分に漏れず、その 90 %を何度も引き当ててきたわけだ。

今はもう公開していないが、若い頃に iro-mono というちょっとしたミニゲームを作ったことがある。これは友人に声をかけられ、複数人で企画して作ったものだ。 その前に一人で作ったミニゲームには Mr.WARP というのがあるが、これを公開したのはもう 10 年近く前になる。

あれから 10 年…
随分と遠回りした気がするが、ひとつゲームをリリースして、ようやく新たなスタート地点に立てたような気分だ。

Web 上の感想が素直にとてもうれしい

このゲームはあまりバズったり、たくさん売れるようなタイプのゲームではないと自己評価している。 そもそも僕はマイナーな個人開発者なので、僕のゲームを目にする人自体、かなり限られるだろう。

でもこのゲームはそれでいいと思っている。 ネットの海からたまたま見つけてくれた人の何人かに手にとってもらって、 そのうち一人にでも「プレイしてよかったな」と思ってもらえたなら、僕はそれで満足だ。 (ゲーム開発者としては低い志かもしれないが、この辺は僕の甘い部分だ。)

ちなみに僕はこのゲームをリリースする前は 「全員がつまらないって言ったらどうしよう…」 とビクビクしていたところもあったのだが、ストアのレビューや Twitter で見かける感想を見ていると、 自分が思っていたよりもポジティブな反応がもらえていて、とても嬉しく思っている。

どれくらい嬉しく思っているかというと、 そうしたコメントをスクショして画像で保存した上で、何度も読み返しているくらい だ。 自分の作ったゲームを楽しんでもらえたなら、ゲーム開発者としてこれ以上のことはない。

プレイしてくれた方々、本当にありがとうございます。

次は

今回のゲームを完成させたことで、多少自信もついたし、 自前のフレームワークやシェーダなどのソフトウェア資産も整った。

ちなみにこのゲームを作るのに使った自前のライブラリやシェーダのコードは GitHub で公開している。 ドキュメントなどを書く余裕は無いが、そのうち気が向いたらサイトで技術的な内容を紹介するかもしれない :


ゲームのリリース作業を終えて嬉しいことのひとつは、 次のゲームを作り始めてよい ということだ。 ゲームの開発中は他のことに気を取られてはダメだ、と自分を戒めていたが、 もはや今は何を作り始めても許されるのだ。素晴らしいことだ。

「ドアを開ける短いゲーム」はできるだけシンプルなゲームデザインを選んで作っていたので、 どちらかというと雰囲気重視のゲームになっているかなと思う。 自分はもっと ゲームゲームしたゲーム も好きなので(ボードゲームとか好きだし) 次はもっとゲーム性 / ゲームメカニクスにフォーカスしたものを作りたい気持ちになっている。

次の新作のリリースはいつになるのか定かではないが、温かく見守ってもらえると嬉しい。