ゲームが作りたかった 16 歳の自分との対話
これは 32 歳のゲーム開発者の僕が、夢見る 16 歳の自分と対話した記録だ。
1. 現況
iMac のディスプレイに映るソースコードを見つめながら、僕はただぼーっと時を過ごしていた。頭が働かない。
都内の自宅、仕事を終えた夜の時間。
時間というリソースは何よりも貴重なものであり、何もしなければ人は何も生み出せない。
ただ無為に時間を浪費するくらいなら 1 行でもコードを書いて何かを生産したり、1 ページでも本を読んで知識を増やした方が得だ。
そんなことは自己啓発本とかで見飽きるほど見てきたので、もうよくわかっている。
だが、どうしようもなく体が動かない日というのがあるのだ。
最近はこういうことが増えてきた気がする。心が疲れているのだろうか。 まあ、年齢を重ねればそれだけ人生の悩みも増えるというものだ。そういうこともあるだろう。 実際、悩みのタネは多いのだ。
9 月 9 日、記録的な台風 15 号が千葉県を襲った。 いつもはそこまで大きな脅威とならない千葉の台風だが、今回ばかりはレベルが違った。
千葉には僕の実家がある。僕が 22 歳まで暮らした家は、まあ、言ってしまえばボロ屋であった。 最近は特に老朽化が進んでガタが来ていたようで、大雨が来ると雨漏りもしていたらしい。
台風 15 号の強さは都内のマンションでも如実に感じられるほどで、 台風当日の深夜は窓を叩く雨音を感じながら「これはいよいよ実家もやばいのでは…」と僕は心配していた。 そしてその心配は杞憂には終わらなかった。
記録的台風は、僕の実家を破壊した。
一番苦労したのは当の実家に住んでいた家族達だが、僕にとってもさすがにショックが大きかった。 台風の日に母から送られたきた「もう屋根 ないです」というメッセージ は、 たった 8 文字だが凄まじい破壊力 があった。 家族は暗闇の中でびしょ濡れになり、家財はダメになり、姉の生きがいであったピアノも壊れ、家は住めなくなった。 だが大きな怪我などはなかったようで、それがせめてもの救いだった。
知らせを受けた当日とその翌日は、僕も半ば放心していた。夜もまともに眠れなかったように思う。 数日続いた停電がようやく復旧したという知らせを受けた時はひと息ついたが、ほどなくしてある悩みが僕の思考リソースを奪った。 「金がかかる」 という現実的な問題だ。
実家はもとより裕福ではなく、経済的に僕に大きく依存していた。 これから住む家のこともあるし、親の老後生活には医療費もかかる。 年金は頼りなくて、残念ながら日本経済の未来は暗い。これは頭が痛くなる話だ。 だが、家族の生活や健康を守るためには僕が崩れるわけにはいかないのだ。僕が崩れるわけには。
「悩む」という行為は非生産的で、あまり意味がない。 悩んでいても儲かるわけではないので、僕がすべきことは 1 円でも多く稼ぎを得る可能性を高めるために、 何かを生産したり、スキルを上げることである。 そんなことはライフハック記事とかで見飽きるほど見てきたので、もうよくわかっている。 だが…
僕はベッドに身を投げた。精神を安定させるには瞑想がいいと言うが、あれはうまくできた試しがない。 頭を空っぽにしようと努めても、僕の脳の CPU は 100 %で稼働し続けている。意味のない演算を繰り返しているだけだけれど。
まったく、人生というゲームはレベルデザインが不親切だ。 実家破壊イベント は理不尽な出来事であった。 だがこうした非連続的な事象には、人生を見つめ直すきっかけを与えてくれるという側面もある。
僕の人生は、キャリアは、これでいいのだろうか。
もっと他にとるべき選択肢はないのだろうか。
やるべきことはなんだっけ… こういうのは、紙に書き出してみるのがいいって言うよな…
やるべきこと…?
「やりたかったこと」は何だったっけ…?
気づけば僕はまどろみ、夢の中へ落ちていった。
2. 夢の中
夢の中の僕の部屋は、 16 年前の実家の子供部屋 につながっていた。 6 畳の狭い部屋に、姉と僕と妹の 3 人分の机とベッドを押し込めた窮屈な空間である。懐かしい景色だ。 今思えば、よくそんな狭さで生活できていたものだ。何というか物理的にすごい。
部屋の中には、16 歳の僕がいた。 狭い机で本を開いて、ノートパソコンに向かって何かを打ち込んでいる。 僕は声をかけてみることにした。
「やあ…、俺は 16 年後の君なんだが」
16 歳の僕はこちらを見た。今の僕を縦に縮めたような顔をしている。 肌ツヤが良くて健康そうだ。若いっていいな… と 32 歳の僕は思った。
16 歳の僕が口を開く。もう声変わりしているはずだが、やや高めの声だ。
「夢の中に出てくる 16 年後のオレか… そういう設定好きだけど」
「だろうな…」
「32 歳って何やってるの? マジシャン? 舞台役者?」
「いや、たしかに一瞬考えたことはある職業だが… 普通にゲームプログラマだよ」
「普通に? すごいじゃん。ちゃんとゲーム会社入れたんだ」
「まあ最初の会社はゲーム会社というか… まあいいか」
16 歳は思ったより無邪気でピュアなやつだった。そりゃそうか。僕が大人になっただけだ。
16 歳の自分との対話
この夢は自分を見つめ直したい僕の深層心理が見せているものだ。 夢の中でそう理解した僕は、これを最大限に利用してやろうと考えた。 16 歳の自分と対話することで自分の心理を見出そう。 だが、実際には 16 歳の僕の方からグイグイ来た。
「ゲームいっぱい作った? オレは今シューティングが作りたいんだけど」
「ああ、学生時代にシューティングは作ったよ。 2019 年じゃそういうシューティングは流行らないけどな」
「そうなの? オレは好きだけど」
「2010 年以降はタッチデバイスが流行って、フリーミアムでサービス型のゲームが一つの主流になる」
「何言ってるかわかんない」
「まあ、君の思ってるゲーム開発とちょっとイメージの違う仕事をすることになるよ」
「未来のゲームってスペックすごそうだよね。今使ってるパソコン見せてよ」
「いいけど、壊すなよ。お前 Mac とかさわったことないだろ」
「部屋広い! ここ住んでるの? 超うらやましい」
「まあ 6 畳に 3 人で暮らしていた君からしたら豪邸だろうな」
「PC の画面めっちゃでかいんだけど! ってか文字綺麗すぎじゃない? 解像度やばくね?」
「5k ディスプレイだ。横幅はお前の dynabook の 5 倍くらいあるぞ」
「メモリは? オレのやつ 512 MB だけど」
「64 GB 積んである」
「ちょっと何言ってるかわかんない」
「まあ確かに 16 年前と比べちゃな…」
「オレ今 C++ 勉強してるんだけど。2019 年だと何? やっぱり D 言語なの?」
「いや、D 言語は思ったより流行らなかった。C++ は無駄にならないからちゃんと勉強しておきなさい」
「エディタ何使ってるの?」
「基本 Emacs」
「イーマックス!? 授業でさわったけど、あの古くてダサいやつ大人になって使ってんの!?」
「おま、Emacs をバカにするな! お前は社会人になったら人生の 3 分の 1 くらいを Emacs の前で過ごすことになるんだからな!」
なるほど、と思った。僕の関心事なんかより、16 歳の僕の好奇心の方がずっと勝るのだ。
好奇心、か… それも大人になって薄れていったもののひとつかもしれない。
「パソコンで曲とか作れるようになりたいんだけど。作れるようになった?」
「まあ趣味程度には… ほら、デスクに置ける MIDI キーボードもあるぞ」
「大人は色々買えていいなー」
「たしかに、学生時代は高い技術書を買うのも一苦労だったな」
「ゲームプログラミングももっと勉強したいんだけど、田舎じゃ本も売ってないし。 会社でゲーム作ってるならプロの開発見て勉強し放題なんでしょ? うらやましい」
「仕事なんだからそんな気楽なことは言ってられないが… まあでも、たしかに仕事で学べることは大きい」
「ゲーム開発も DTM も全然わかんない。っていうか勉強の仕方がわかんない。作りたいやついっぱいあるのに」
「たしかに、当時は独学だったからひどいコード書いてたな…」
「教えてくれる人いないんだもん。教えてよ」
「そう思えば俺もこの 10 年で大分真っ当な技術を身に着けたんだな… お前を見てたら自信が出てきたわ」
「いいから教えてよ」
「やっぱ趣味でも色々作ったりしてるの?」
「いや、最近はあまり…」
「作ってないの? 未来のオレなのに?」
「大人になると色々大変なんだよ… って、これつまんない大人が言う台詞だな」
「オレは色々作りたいのあるけど。シマダ先輩が素手で蛍光灯割ってうまい棒手に入れるゲームとか」
「身内の名前が出てくるところが若くていいな。ちなみにそのゲームは完成しない」
「でも不思議なんだけど」
「何が?」
「自分の家があって、こんなハイスペックなマシンがあって、プロの知識もあるんでしょ?」
「まあ」
「オレがゲーム作るのに欲しかったモノもう手に入れてるのに、何で作らないのかなって」
僕はそこで何も言えなくなってしまった。言い返す言葉がなかったからだ。
3. これから
目が覚めると 16 歳の頃の自分に戻っているなどという大衆映画のような展開はなく、相変わらず 32 歳の自分がいた。 夢での対話は思考の整理に役立った。夢は所詮、自分の脳が見せているもので、 自分の考えの行き着く先など本当は最初からわかっていたことだったのだ。
16 歳の頃の自分は、ただ純粋に、何かを作りたがっていた。
16 歳の頃に知らなかった言葉で説明すれば、 内発的モチベーション というやつだ。
金にならなくても、SNS で Like がもらえなくても、誰に言われるでもなくやってしまう、
そういった強い原動力を、あいつは持っていたのだ。
そしてそれはたぶん、大人になった今でも心の内に残っている。 ただ忘れているか、忘れようとしていただけだ。
大人になると「やるべきこと」はたくさんあって、人はそれに翻弄される。
だが、「やりたかったこと」も時々思い出さないと、自分の人生を見失ってしまうのだろう。
僕は使わずに遊ばせていた MIDI キーボードを取り出すと、曲を作ることにした。 今はとにかく、何でもいいから手を動かそう。 平日の夜や土日を使って、少しずつ完成させていった。 ついでに曲のイメージに合わせて動画も作った。
これは何の目的も打算もなく、完全なる趣味で作ったものだ。 それなりに手間はかかっているが、そう、完全なる趣味だ。 作ったものを自分で見返しながら、 まあこういうことがやれているうちは俺も捨てたもんじゃないかな、 というちょっとした自己満足を得ることもできた。悪くない。
そうこうしているうちに実家の方も住む家が決まったりと、ちょっとずつ生活が落ち着いてきたようだ。 元の実家は田舎で周囲に田んぼしか無かったのだが、新しい家はもうちょっと文明がある場所のようで、 むしろ生活レベルが良くなり家族のテンションが上がっているくらいだった。 家族が心穏やかにあってくれることが、僕としても一番嬉しい。 姉には新しいピアノを買うための金を工面してやった。
人生、色々と悩んだり立ち止まったりすることはあるが、
それでも一歩ずつ進んでいけば、まあどうにかなるだろう。
忘れちゃいけないのは、僕らは思ったよりも自由であるということだ。
僕の場合は、余暇に何を勉強してもいいし、何を作ったっていいのだ。
人生というゲームは、レベルデザインは少々狂っているが、自由度は途方もなく高いのだから。