君が本当にゲームを作るまで

個人開発を始めてからリリースするまでの実際のゲームの作り方


僕は誰で、どうしてゲームを作るのか


2022-07-18
Written by Tatsuya Koyama

これを書いている人は一介の職業ゲームプログラマに過ぎませんが、 まあしかし、誰が(どういった技術的背景の人間が)書いているか、 ということは本を読む上で無視できないコンテキストになるでしょう。 (僕も技術書を読むときは、まず著者の経歴を見たりします)

ということで、一応自分のことをつらつらと書いておこうと思います。
(この章は読み飛ばしてもらっても、後の章の理解に影響はありません)

始まりはファミコン

人生の最初の記憶は、家でファミコンというハードのビデオゲームを遊んでいるところだったかもしれません。 ソフトは、ファミコンソフトとしては微妙にマイナー? な パラソルへんべえ という IP モノのアクションゲームでした。 父がゲームを遊ぶ人だったので、物心ついた時にはすでに、家にゲーム機とソフトがあったのです。

「あなたはファミコンで文字と数字を覚えたのよ」 と母が言っていた記憶があります。 マリオやドラクエ、FF など、メジャーなタイトルも遊びました。 父はもっぱら RPG が好きな人で、父と僕とで話をしながら、同じ RPG をよく一緒に遊んだものです。 少年期に遊んだゲームの思い出はたくさんあって、どれもキラキラしていました。 ゲームは幼い僕を何度も、未知なる世界の冒険へと連れて行ってくれたのです。

こんな風に人生を始めてしまったら、ゲームが大好きな人間になるのも仕方がないというものでしょう。 「父がゲーム好きだった」というのは、僕の人生に大きな影響を与えました。 僕は今、ゲームが好きで、ゲームを作る仕事ができていてよかったと思っているので、父には感謝しています。

つくることは根本的に好きだった

幼少期、ゲームをやっていない時間の記憶を辿ると、 自分の机で落書き帳にひたすら 架空のゲームのマップや、敵キャラクターの絵などを描いていた 記憶が蘇ります。 子ども用の机の引き出しが紙で溢れかえって閉まらなくなるほど、描き続けていました。

幼少期に描いていた落書きのイメージ

幼少期に描いていた落書きのイメージ

ファミコンソフトのお気に入りのタイトルのひとつは 「ソロモンの鍵 2」 でした。 (たぶん 1 のほうが有名ですが、僕が大好きだったのは 2 です) じっくり考えるタイプのパズルゲームなのですが、なんと自分で好きなステージが作れる エディットモード があったのです。

  • 2022 年現代にはマインクラフトやマリオメーカーといったクリエイティブなゲームがたくさんありますが、 ファミコンの時代にはエディット要素のあるゲームはあまりなかったのです

僕は誰にやらせるのでもないのに、もくもくと「ソロモンの鍵 2」のエディットモードでパズルを作っていました。 そういう子供だったのです。

もう少し年をとると、紙工作でゲームのような何かを仕立てたり、漫画を描いてみたり、 スーファミ・プレステ時代にはアスキーの ツクールシリーズ を一通りプレイしたりと、順調に「つくる」遊びにのめり込んでいきました。

押入れの中の MSX

ファミコンと並ぶ幼少期の記憶で、家の押入れの中にしまわれていた MSX という機械があります。これも父が若い頃に買ったものでした。 テレビにつないで使うホームパソコンというやつで、 まあ、いにしえの時代のコンピュータだと思ってください。 スペックは、1985 年発売の MSX2 でメモリが 64 kB といった、そういうレベルです。

  • メガバイトではなくキロバイトですよ!

MSX は大きなキーボードのような形をしていて、幼い僕にはそこはかとなく面白いおもちゃに見えました。 使うときに押入れから出してきて、テレビにつないで起動します。 キーをタイプすると、青い画面に文字が現れたり、行頭に数字が現れたりします。不思議です。

MSX に向かう父とありし日の僕。
こんな幼少期ならそりゃ将来プログラマになるって

MSX に向かう父とありし日の僕。
こんな幼少期ならそりゃ将来プログラマになるって

その後年をとって算数がわかるくらいの年齢になった頃、 家の本棚の片隅に MSX のプログラミングの技術書 が 5 冊ほどあるのに気づきました。 父が昔買って読んでいたもののようです。 そう、MSX では BASIC という言語を使ってプログラミングができるのです! 僕は遺跡の果てでロストテクノロジーを見つけた探検家のように目を輝かせて、 幼ながらにその “古文書” を紐解き始めました。

思えばこれが、僕がゲームプログラマになる未来を決めた分岐点でした。 子供にはプログラミングの概念は難しいものでしたが、 少年の有り余る時間と好奇心が僕に独学を続けさせてくれました。

プログラミング以外のスキルツリー

ゲームをつくろうとしたとき、ゲームを作るためのスキルツリーは多岐に渡ります。 プログラミング以外にも、グラフィック、サウンド、シナリオ、ゲームデザイン、レベルデザイン、 志す道は色々あります。そして子供の僕にはまだ無限の可能性がありました。 (若いっていいですね)

子供というものは世間知らずの恐れ知らずですから、 上手いとか下手とかを気にせずに、絵を描いたり、漫画を描いたり、お話を書いてみたりと色々やっていました。 ピアノを習っていたので音楽もやりましたが、ゲーム好きな少年にはクラシック音楽はピンと来なくて、 よく練習をサボってゲームの BGM を耳コピして弾いたりしていました。 (今となっては、もっとちゃんとやっておけばよかったなぁと後悔していますが、まあ子供なのでしょうがないです)

  • ピアノに関しては、かつてピアノをやっていた母の影響があります。 家にあったピアノも、母が子供の頃に使っていたものでした。 うちはあまり経済的余裕のある家ではありませんでしたが、 安くない月謝を払ってピアノのレッスンに通わせてくれた母にも感謝しています。

しかしながら中学生くらいになるとだんだん現実が見えてきて、僕はどこかで 「自分は絵や音楽やシナリオは得意分野ではなくて、これをプロとして戦えるまでレベル上げするのは難しそうだ」 と悟るようになっていました。諦めが少々早いような気もしますが、ともあれ悟ってしまったのです。

現実問題、人間には向き不向きというものがあります。誰でも努力すれば何でもできるようになる、 というのは真実かもしれませんが、 努力したときの経験値効率が違う のです。 魔法使いは剣を鍛えるよりも、得意な魔法を伸ばしたほうが戦場では活躍できます。 (これはファイアーエムブレムが教えてくれました)

僕はファミコンソフトの FF3 で好きだったジョブの 「赤魔道士」 を想起しました。 彼は剣も黒魔法も白魔法も使えるマルチな才能を持っていましたが、 言ってしまえば器用貧乏で、ゲームの中盤以降は使いにくい性能になります。 子供の頃の僕は赤魔道士でした。つくることの興味の範囲は広いですが、どれもそこそこの腕前です。 人生というゲームの中盤以降 (社会人として仕事をし始める以降) を戦うには、 何かひとつメインの武器を持つ必要があると考えていました。

自分にとってはそのメイン武器はプログラミングだったようです。 これは不思議と、 (いくら勉強が難しかったりバグに悩まされたりしても) プログラミング自体に挫折することはありませんでした。

僕は中学を卒業した後、高専の情報工学科・専攻科と進み、7 年間コンピュータサイエンスを学びます。 情報工学はゲーム開発そのものを教えてくれるわけではありませんが、 ソフトウェアの開発技術というゲームづくりには必須の道具を与えてくれました。 学生時代はそこに独学も加えて、趣味でゲームを作りました。 その後ソフトウェアエンジニアとして就職してゲームを作る仕事を 12 年ほど続け、現在に至ります。

ということで、これを書いている人間は、

  • プログラミングはプロとして仕事ができるレベル
  • 絵や音楽やシナリオやゲームデザインは、興味関心は強いが趣味レベル

というスタッツの開発者、となります。

僕はどうしてゲームをつくるのか

結局、僕はどうしてゲームをつくるのでしょう。なぜゲームを選んだのでしょう。

  • 前提として、ゲームは面白いものである (楽しませるために作るものだから)
  • 子供の頃からゲームを遊んでいて、ゲームには親しみがある
  • ゲームづくりは奥深く、作る過程にも面白さを感じられる
  • 作ったゲームで人が楽しんでくれるのを見ると幸せになれる

など、理由を言語化することはできます。 しかし改めて考え直してみると、 自分はそもそも「どうしてゲームを」ということはあまり考えたことがなかった ように思うのです。 ゲームを作るということは決まっていて、 「どうやって作るのか」 ということばかりを考えていました。

人には、その人なりの 「誰に言われたでもないのにやってしまうこと」 があります。 そうしたものは、その人の強みです。MP を消費せずに撃てるスキルのようなもの。 僕の場合は、それがゲーム開発だったようです。

これを読んでいる人の中にも「なぜゲームか」を考えたことのない人がいたら、その人はこちら側の人間です。
さあ同志よ、「どうしてゲームを作るのか」 ではなく 「どうやってゲームを作るか」 の話をしようじゃありませんか。